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Miho Yamazaki

線の画家/加藤要治さんにお会いする


この方にお会いすべく「絵筆と旅して」@ 銀座ミレージャギャラリーへ行ってきました :

加藤要治

Yoji KatoでFacebook上を検索すればすぐに見つかると思います。

今どきこのような売れ方をする美術作家さんはきっと希有なのではないでしょうか? 批評家たちに歓迎されるような、美術作家 = 思想家 & 科学者(私自身は、そういう方向性も好きではありますが…)ではなく、逆に、「みんな」の目の喜びに奉仕する中途半端な商業クリエイターでもない。それなのに結果的に巷の人々に愛されている。

加藤さんの画を「音楽的です、リズムがある」と評する人がいる。

私は、加藤さんの画はペン先を紙の表面から離すことなく描き続けた末にできたものなのだろうと思う。加藤さんの目を通すと、世界は—一部の古の人々にとってそうだったように—線に分解されてしまうのだろうとも思う。もしかすると加藤さんは、世界というtext (テクスト/織物)をほぐして、そうしてできた途方もなく長い糸で布のうえに刺繍を施しているのかもしれない。加藤さんの描画線は、けれど、刺繍糸よりもよほど直接的にその運動を反映する。筆よりも柔軟性がないはずのボールペンの線は、描いている加藤さんの筆圧や加筆のスピードに快く応じて、太くなったり細くなったり、薄くなったり濃くなったりする。

線に翻訳された、「加藤要治」の音楽的身体。

いわゆる線描とは全く異なるこのstyleを編み出したことだけでもかなりの偉業なはずなのに、加藤さんご自身には全く気負いがない、のか、あってもそんな素振りは見せない。旅して見知らぬ人と話すのが好きだから旅する画家を続けていて、旅してその場の空気の中で描くのが好きだから写真を見て描くことは(基本的に)しない。至ってシンプル。この方はどんな日々を経てここまで削ぎ落とされたのだろうと訝しんでしまうほどに清々しくて晴れやかだ。しかも気さくで、色気もある(笑)。

さて、

見知らぬもの(物であれ者であれ)とコミュニケートするのが好き、というのは写真家としてもおいしい資質。そんな訳で、加藤さんはどんなところにも「すっ」と入ってゆけそうでいいなぁと思いながら加藤さんとお話ししていると、「結構話すよね、いや、そういうのいいよね、お喋り万歳!」と突然コミュニケーションlover認定/免許皆伝? して頂き、謎に幸せになりました。

この日は他にも写真展を2つ見て写真イベント1つに片足を突っ込んだのですが、それらについてはまた稿を改めて… ♪

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