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Miho Yamazaki

閉じられない想い


そこへ行って「あなた」に手を差し延べることさえままならないときに私ができることは祈ることしかありませんでした。

あれはもちろん他人事ではありません。

あの日のあのとき、私はごく個人的な事件の渦中にあって、しけたパスタ屋で親しかった同級生に身の上相談をしていました。安普請の建物はひどく揺れて、キッチンから発火しないかと心配したのをはっきりと覚えています。

それから程なくしてFukushimaの原子炉での事故が発覚した。私にも電気を供給している東京電力の管轄の発電所でした。

都会のエゴ

高浜原発が関西電力の管轄であることを、ふと思い出しました。

高浜には私の親戚も何人かいます。福井県と接している滋賀県や京都府にも。

滋賀や京都と福井県の若狭地方は東京と福島よりもかなり近く、この地震や津波がもし福「島」ではなく福「井」県を襲っていたらと思うと正直ぞっとしました。この瞬間、Fukushimaは自分事になりました。福「井」は地震が起こらない場所では決してありません。

そして私は高浜の人々の少なくとも一部は原発の誘致に賛成したことを知っています。彼らはきっと仕事が、お金が欲しかったのです。福島にもきっとそんな人はいたのでしょう—都会は田舎のそんな気持ちを知っていた。

私には彼らを責めることはできません。

それなのに私には原発に賛成することができません。

怖いからです。昔から怖かった。炉がいくら頑丈に造られているといっても所詮は人間が造ったものです。永遠に壊れないはずはありません。現に壊れてしまった。

虫のいい話です。

私は東京電力同様、無責任ではあり得ません。それなのに祈ることと若干の寄付以外は何もできていないのです。

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