William Egglestoneという写真家がアメリカにいた(or 今もいらっしゃるのでしょうか?)ということは『世界写真史』などを通じて知っていましたが、その作品をまとめて相当量見たことはありませんでした。
先日、人生で2度目に代官山蔦屋書店に行って参りました(首都圏住まいのart好きとしてあるまじき訪問回数の少なさ)。文学好きが品揃えをなぜかこぞって批判することもあり、学生時代に親しくなることができなかったお店です。
夥しい量の写真集がありました。なぜ今まで足繁く通わなかったのか…
そんなことを考えつつふと棚を見るとEgglestoneの写真集がありました。
この、存在がばーんとあって奥に "nothing" がある感じ… 私の中の何かが共振するのを感じました。もしかすると、彼が写真撮影を通じて向き合っていた世界と私のそれとはかなり近いのかもしれません(私が今度出す予定のKindle写真集にもそう思わせるような写真が何枚か含まれています)。もちろん、私は彼の域にはまだまだおよびませんし、彼がその時代のフィルムを使って出していたようなレトロな色調を再現しようと積極的に試みたこともそんなにありません。それでも…
おかしなものです。ヨーロッパには1年いたのに対してアメリカにはそもそも訪れたことさえありませんし、文学はアメリカよりもヨーロッパの作品の方を多く読んできました。写真についても同じで、ヨーロッパの作家のものの方がなじみがあります—(報道写真家を除いて)最初に好きになった海外の写真家はおそらく、フランスで活躍したマン・レイやチェコスロバキア出身のクーデルカです。それなのに私の中にアメリカ的な何かがあるなんて。
アメリカ、行ってみた方がいいのかも。