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Miho Yamazaki

硝子越しの倫理


私も参加させて頂いているCross Road Projectからこのような写真集を出された方がいらっしゃいます。

町田良太 (敬称略。六甲山国際写真祭でもかなりの評価を得ておられる方です)

率直なところ、震災後の福島の写真で有名な「あの方」の作品群よりも深く心に刻まれたくらいです。もっとも「あの方」はあまりに当事者でありすぎた、ということもあるのかもしれませんが(「あの方」の実家は確か福島県の浪江町でした)。近代的な意味でのview/視界は距離を置くことによって開けてくるものだからです。

町田氏は、福島にあった友人の家を訪れた際にこれらの写真を撮っています。ただ悲惨なだけでもなく、過剰に淡々としているのでもないimages。

ただ悲惨な写真の代表としては「巧い」報道写真が上げられるでしょう。そして、淡々としているものとしては「あの方」の写真が。もちろん私は「あの方」の写真もリスペクトしています。ただ、そうした撮り方や、あるいはそれとは真逆のセンセーショナルだったりお涙頂戴だったりグロテスクに過ぎたりするような撮り方は、倫理的には被害者サイドの当事者にしか許されない撮り方だと思うのです。

町田氏は、私をはじめ、私同様直接の被害者ではない数多の人々が東日本大震災にどう向き合っていけばよいかを端的に示してくださっている気がします。

ただ、逆にいえば、これを見てしまった今、私が東北に行くとすればどう撮れるというのだろうというのが悩ましいところではあります。私はこんなに優しく世界と向き合えるのだろうか、と。暗い中で表情のよく読めない誰かの手をそっとつかむような、ためらいと確信の入り混じったトーン。

私は、もっと考えてみる必要がありそうです。

光栄なことに、ある人曰く町田氏の写真と私の写真はどことなく似ているそうです。私がここまでやれるかは正直分かりませんが、一方で、たとえば

千賀氏のこの写真集の写真たちよりは町田氏のような感じの方が射程距離にあるのかもしれないと感じてはいます。

巷の写真を仮に

1. 通訳×通訳的なもの (スナップ的に素早く撮られ、ごく短いスパンで消費される)

2. 通訳×翻訳的なもの (スナップ的に素早く撮られ、長期にわたって解釈し直され続けうる)

3. 翻訳×通訳的なもの (固定カメラなどでじっくりと撮られ、ごく短いスパンで消費される)

4. 翻訳×翻訳的なもの (固定カメラなどでじっくりと撮られ、長期にわたって解釈し直され続けうる)

の4種類に分類すると、こちらの写真集は2に近い感じで、先の町田氏の写真集は4的な感じがします。私は(カメラがマニュアル・モードになっていることもありますが)反射神経に優れているとは正直言い難いので、2に該当するような人物や動物の撮影は得手ではないのかな、と。その事実を引き受けたうえで、4に軸足を置きつつ、2と4の間をさまよう社会学的landscapesを撮り続けたいと思っています(^^)

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