こんにちは、
ご無沙汰しておりました! いやもぅ本当、blogが手につかないほど色々なことがあって… この年末年始に至っては、カンボジア旅行までしてしまいました! 久々だったなぁ、海外。
…ということで、Facebookではすでに予告済みですが、軽くカンボジア旅行記をしたためることにしました。一度に書ききれる量ではないので何回かに分けて、かつ、お読みくださる皆様に色々と想像して頂けるよう断章形式にてお送り致します。暇つぶしがてらお読み頂けると嬉しいです♪
食べ物
パン
カンボジア人の朝食は、中国などもそうであるようにお粥だったり、植民地時代の名残りでフランスパンだったりする。
実際、パンのクオリティーは少なくとも2002年当時の上海よりも、さらにいえば日本のコンビニパンよりも高い感じがする。ホテルの朝食の小さなミルクパンや (なぜかフランスパンではなく食パンがベースの) フレンチトーストの味が忘れられない。
ついでにいえば、イタリアのスイーツであるジェラートも美味だった。
こちらはおそらくフランスの遺産ではないだろう。この地でカフェを経営しているオーストラリア人がいるくらいだから、イタリア料理通の誰かがこの地にやって来て、この味をもたらしたのかもしれない。
かぼちゃ
「かぼちゃ」の語源はカンボジアを意味するポルトガル語から来ている、と聞いていた私はつい、カンボジアをかぼちゃの原産地だと思ってしまっていたけれど、実際の原産地は南北アメリカ大陸だと帰国後知った。
かぼちゃの起源に迫るつもりで食べたかぼちゃプリンは日本のかぼちゃプリン(かぼちゃが練りこまれた、全体がかぼちゃ味のプリン)とは違って、かぼちゃをくり抜いたところにプリン液を入れて固めたものだった。プリン部分の味はそうでもなかったものの、ほくほくでもぐじゅぐじゅでもなくねっとりとした食感のかぼちゃは、かなり甘さが控えめの羊羹みたいで気に入った。
肉食
日本では明治時代まで、僧侶はおろか、一般人も公には四つ脚の動物を食べてはいけないことになっていた。仏教では殺生がいけないことだとされている。この思想が、大陸から日本にもたらされた「穢れ」の思想と結びついて肉食がタブー視されるに至ったということだ。
タイの僧侶はやはり肉を食べないらしい。それに対し、カンボジアの僧侶は一応肉を食べてよいことになっている。ただ、目の前で捌かれた動物を食べてはいけないなどの決まりはあるとのこと。
カンボジアの一般人は、豚をはじめとする肉を日常的に食べる。ただし、牛は最近まで食べる習慣がなかった。
カンボジアにいる牛はほとんどが農耕用で、共に働くパートナーだ (そのため肉は筋ばかりで、カンボジアでおいしい牛肉を食べようと思えば大抵の場合オージービーフになってしまうとのこと)。それが牛を食べなかった主な理由だそうだが、それだけではなく、仏教の基底にあるヒンドゥー教において牛が聖獣視されていることもあるのではないか、と、私は思っている。
米
カンボジアは名だたる米の生産国で、人々もご飯をよく食べる。
タイ米と同じ長粒種で、おかずと一緒の皿に盛って食べる。日本人の多くは短粒種びいきだけれど、汁気の多いおかずと混ざり合ってもべとべとした感じにならないのは長粒種ならでは。だから私自身は、単独で食べるなら短粒種、おかずに添えたりカレーライスやハヤシライスにしたりするなら長粒種に軍配を上げる。
米がたやすく手に入るだけに、カンボジアでは摂取カロリーにおける炭水化物の比率が高い。肉や野菜は総じて炭水化物系の食材より値が安い。だから、戦後の日本がそうであったように、金銭面で裕福だとはいえないこの国の食生活が炭水化物に偏るのは当然なのだろう。
現代の栄養学ではありえないことに思えるかもしれないが、お米を食べていれば元気になれると言われ、おかず少々と相当の米を食べて育った私たちの現地人ガイド、Mr. Hourはとてもパワフルだったし、乳製品も肉もあまり好きではなく、品数のあまり多くないおかずと多量の米を食べて育った母は、体型は私にかなり似ているが背は私よりもやや高い。もしかすると米には、まだ明らかにされていないだけで、実はとてつもない栄養が含まれているのかもしれない。
ところで、現代日本における米の主産地は東北地方である。しかし米は、カンボジアやタイが主要な生産国となっていることからも分かるように、本来は熱帯地方のものだ。日本でも、たとえば明治時代の統計を見ると、米の収穫高は近畿地方の方が東北よりも圧倒的に高くなっている。それが現在のようなことになっているのは、明治以降、農学者などによって品種改良が繰り返し試みられたからだ。では、なぜ日本はそれほど苦労してまで自然な食糧生産のあり方を変えようとしたのだろうか?
それは、ナショナリズムに基づいて「瑞穂の国、日本」のイメージを作り上げようとした国の食糧政策の結果だ、と赤坂憲雄氏は言う。実際、そうなのだろう。国とは、この国では「お上」である。日本において、米が数ある炭水化物源の中で格上に見られがちなのは、おそらく米のイメージが日本人の中で「お上」のそれと重ね合わせられているからだ。
政府はもちろん、地主や庄屋に納められるのは、ほとんどの場合米だった。「貧乏人は麦飯を食え」とも言われていた。東北の、それこそ戦後しばらく経つまで米がまともに穫れなかった地域の高齢者の方の中には、今でも米に対してある種のコンプレックスをお持ちになっている方々がいる。
私が昨夏に岩手県の田老を訪れたときに家に上げて頂いた老夫婦も、少しそんな様子だった。お喋りが好きで気さくなお婆様と、物静かで、ブルーグレーの瞳(東北人にはこうした色の瞳の方がたまにいる、らしい)が素敵なお爺様に、東日本大地震のときのことを少し伺うことができた。連想が連想を呼び、話は戦争体験にまで及んだ。
「本当、物がなかったね、あの頃は」
「物もですし、食べ物が… かなりひもじい思いをされたのでは?」
「いや、それがね、あの頃が特に、ってことはなかったの。国に出すのはお米だけだもの。私たち元々、稗とか粟とかそんなものを作って食べてたから」
食糧難の戦時中でさえ、日本という国は米しか真っ当な穀物と見なさず、それ以外のものは受け付けさえしなかったのだ。
「まぁ、稗とか粟とか質素なものを食べて贅沢をせずにきて、そのお陰で元気なんだよねぇ、私たち」
そうおっしゃるお婆様の前で、お爺様は静かに頷いた。
そんな彼らが、カンボジアの人々は皆、米を食べてお腹を膨らませていると聞いたらどう思うのだろうか。多くの日本人は、少なくとも物質面では日本はカンボジアより豊かだと思っているし、経済を把握するのに使われるような指標の統計数値においても、それは事実だ。
痛快だった。
物差しが変われば、見えてくる豊かさも変わる。
ちなみに私自身は、1/4は東北(山形)人であるものの、3/4は北陸(近畿にほど近い福井)人なので、それこそ、大学に入って北関東出身の同級生の祖父母の食卓の話を聞くまで、日本は元から米の国だったと信じて疑っていなかった。
どこまでも続く田圃を横目にHour氏の話を聴きながら、大学に入って早々に受けた衝撃と昨夏に東北で感じた驚きを密かに反芻していると、東日本人よりもカンボジア人の方が近しいような気がしてきた。