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  • Miho Yamazaki

Cambodia_02


買い物

物よりも思い出がほしい、とは、旅をする者の偽らざる本音だろう。しかし「もの」から見えてくる「こと」もある。今回は、その事実を念頭に置きつつ、私が現地で立ち寄ったお店や買ったものなどについての様々な思いを書き連ねさせて頂ければ、と思う。

ⅰ. お土産

絵葉書と5ドルのストール

絵葉書は、後述するArtisan d'Angkorにとても洗練されたものがあったのだが、私が買ったのはそれではなく、いかにも観光地の写真といった感じのもの。遺跡の近くでは大勢の子供たちがいつも絵葉書を売っていた。男の子がやや多かっただろうか。大抵は1〜10ドルで、安いので買うことにした… とはいえためらいがないわけではなかった。皆が購入を続けていたら児童労働はなくならないのではないだろうか、と思ったからだ。しかし一方で、買う人がいなければ彼らの日々の生活は立ち行かなくなる。

かつての日本のギヴ・ミー・チョコレート少年たちも彼らほどに必死だったのだろうか? 私には分からない。だが、日本人は本来、良きにつけ悪しきにつけ人にものを頼むのが苦手な人々だと思うので、彼らも切羽詰まっていたと考えて間違いなさそうだ。

一方で、人口に膾炙するダイエット熱の影響から、日本女性の平均摂取カロリーが第二次大戦直後のそれを下回った、という話も少し前に耳にした。この世界はいつも何かがうまくいかない。

5ドルのストールやはり、遺跡などの観光地で売られていたものだ。こちらは、大人の女性や女の子が比較的多い印象。食べるために共働きが普通になっている (ように見える) 彼らの社会では、外で働く人/家を守る人という区分とは別のかたちで性による役割分担がなされているのかもしれない。

私が買ったストールは、まだ小さな、とても細い女の子が売っていた。織物は別のところで買うと決めていたし、自宅も広いとはいえないので最初は断り続けていたが、こんなに細い子がますます痩せて発育障害が出たら、と、本気で心配になり、買ってしまった。とはいえ、取り引きとしては公平でwin-winだった。私にしても、帽子が行方不明になっていたので、翌日の観光のために何か日除けを手に入れる必要があったからだ。

帰宅後、ホテルの鏡の前で試しに巻いてみた。日除けにするなら頭に加えて顔も鼻先まで覆わねばと思い、そのようにしてみたのだが、あまりにも違う国の人みたいだったし、観光地にはイスラム教徒と思しき方々もいらっしゃるので、失礼に当たらないよう止すことにした。

幸いなことに帽子は翌日、観光に使っていたバスで発見され、ストールはストールとして首回りに巻かれるに至った。同じツアーの歳上の女性諸氏に褒められ、「どこでお買いになったの? 私も欲しいわ」とまでおっしゃって頂いた。

プレループ遺跡です、と、営業スマイルを浮かべながら私は答えた。

IKTT (クメール伝統織物研究所)

この研究所ができた経緯の詳細は、私が説明するよりもこちらの動画をご覧頂く方が早いし、分かりやすいように思う。

かいつまんでいえば、森本喜久男さんという超一流の友禅職人の方が、国際機関から依頼を受けてカンボジアの絹織物について調査をした折に、同地の絹織物の原料 (蚕) や器具、そして技術が内戦でほぼ消滅した状況を目の当たりにし、この状況を何とかしたいと身銭を切って伝統織物の復活に尽力した、という話になる。

復活した織物自体が素晴らしいのはもちろんのこと、その収益で、織物の実際の担い手である現地の方々の生活が維持できている事実、そして、彼らにとっての幸せとは何か、ということを常に考える森本氏の姿勢 (不必要な事業拡大の誘いは頑として断り続けているとのこと) も、同じくらい、あるいはそれ以上に感服に値する。

右のスカーフがIKTTで購入したもの。私は肌色のせいか、いわゆるアースカラーをはじめ、ややくすんだ渋い色が似合わないことが多いため、買うにあたってはかなり悩んだのだが、カラーヴァリエーションが豊富なため、無事肌なじみのよい1枚に出会うことができた。

「カラーヴァリエーションが豊富」とはいっても、それは決してベネトン的な意味ではなく、手染めなので、同じ染料で染めた同じ柄の織物どうしでも全て異なる色に仕上がっているということだ。織物たちの間には揺らぎが、デジタルではなくアナログ的な変化があった。感覚を研ぎ澄ましてどれを買おうかと思い悩む過程は、それ自体がひとつの対話のようだった。

Artisan d'Angkor (アルティザン・ダンコール)

元々はフランスのNGOだったこの有限会社は、カンボジア内戦で教育を受けられなかった人々や同地の障害者の方々などが自活する手助けを、ビジネスを通じて行なっている。彼らは彼らで、生活が保障されると同時に、織や塗漆、彫刻などの技術を身につけることができ、会社は会社で、彼らの作ったもので収益を得られるのだから、素晴らしい経営モデルだといわざるを得ない。実際、こうしたビジネスのあり方 (デザイン) が評価され、この会社はあの「グッドデザイン賞」まで受賞している。

しかし、私自身はこの企業を手放しで賞賛することはできない。

その理念には賛同するし、カンボジアの工芸品をベースにデザインされたと思われる同社の商品も、私の趣味に合うものばかりだ (※ IKTTの項に載せた土産品の写真に写っている左の飾りはここで購入したもの)。だが、この企業の方々がカンボジア文化についてどの程度理解したうえでこうした商品の生産を行なっているのか、という点については疑問が残る。

ゴッホが浮世絵にのめり込んで、おそらくはその本質に至らないまま、そこに彼流の解釈を施してあのようなポスト印象派の絵画を残した、それは別に構わない… どころか大歓迎だ。結果として、オリジナル作品/商品の受け容れられ方に新たなヴァリエーションを加えてくれるのだから。それは誤解に基づく文化「翻訳」かもしれないが、イタリアやフランスでもいわれるように "traduire, c'est trahir"、翻訳とは裏切りだ。

ただ、それを、解釈者自身が個人的な制作を通じて行うのではなく、解釈される側の文化圏に属する人々に商品製造というかたちで実行「させる」ことに、私自身は違和感が残る。もっといえば文化的植民の臭いを嗅ぎ取ってしまう。

もちろん、IKTTの作品にも日本人である森本氏の解釈は多分に入り込んでいたはずだが、彼は現地の織物文化について本当に徹底的に調べたうえでそれを行なっているし、実際の制作の過程においてもArtisan d'Angkorの場合に較べて対話を大切にしている気がする。後者の工場を実際に見学したのだが、トップダウンな感じだった。フランスの息がかかったデザイナーたちのデザインに従ってカンボジアの職人たちが商品を作っていた。

いや、それはそれでいい、間違ってはいない。このやり方ならIKTTよりも多くの人を雇い、多くの人々の生活を潤すことができる。観光客たちは製品のクオリティーに満足している、私も現に満足した。それはおそらく、少しの人を徹底的に大切にすることと、多くの人をある程度幸せにすることのどちらを取るかという問題だ。

Madame Sachiko

アンコールクッキーで有名なこの会社は、日本語教師としてカンボジアで働いていた1人の女性によって設立された。働くうちにこの国に惚れ込んでいった彼女は、この国の人々が幸せに働き、自立し、幸せな生活を送るため、自分には何ができるのかと考えた末、起業に至ったそうだ。アジアにおける日本の微妙な立ち位置を思うと、Sachiko氏にしても、先の森本氏にしても、日本以外のアジアの国々で現地の人々の幸せに貢献しようとしている日本人がいることに、本当に救われる思いがする。

私はやはり名物であるクッキーを買ったが、この企業はそれ以外にも様々な「かわいい」プロダクトを扱っている。和やかな空気の流れるこちらの直営店にぜひお立ち寄り頂いて、その全てを自らの目で確かめて頂きたい。

ⅱ. トゥクトゥク

買い物をするにも足が要る、そんなときに活躍するのがこのトゥクトゥク (運転手さんに漕いで頂く三輪車) だ。

客引きは正直、かなり激しい。当然だろう、彼らだって生活がかかっているのだから。こちらが最低限の英語を話せて、かつ相場を知っていれば「吹っかけ」られることもない。きちんと交渉に応じてくれる。

私自身はツアーのバスで移動することが多かったので、大抵の客引きを拒まざるを得なかったのだが、拒むのがもったいないほど面白い運転手の方々がいらしたのも事実だ。一度などは「乗るなら、今でしょ!」と言われてしまい、(やや時差があるとはいえ) ネタ収集力に甚く感嘆したものの、その手に乗ってしまっては集合時刻に間に合わないので泣く泣く諦めた。

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