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Miho Yamazaki

Cambodia_03


宗教

日本はアジアの最果てだが、果てといえどもその一部ではある。宗教は、そんなことを確認させてくれる重要な文化的側面のひとつだといえるだろう。

ⅰ. 混ざり合い

カンボジアの宗教が仏教だというのは知っていた。それでもやはり、僧侶への尊敬の眼差しや挨拶時の合掌などを見ると、仏教色の濃さに何ともいえない感慨を覚えた。やはり日本は、仏教国だとはいえない。

違う、そもそも、私の知っている日本は仏教国ではなかった。

偉大な僧侶/学者の物した仏教の経典の解釈本を読むというカンボジアの敬虔な方々とは異なり、地方の上品な一老人である、母方の祖母の祖父は、仏教系ではなく論語などの漢籍や漢学者の本、そして国学者の本などを読んでその心を諌め、その頭を磨いていたらしい。

日本の夏の伝統行事であるお盆にしても、土着の祖霊信仰と仏教が結びついたものとのことだが、「お盆の時期に海に入ると、霊に足を引っ張られて溺れてしまう」という言い伝えをはじめとして、あまりに土俗的な要素が強いと思う。

この「土俗」的な考え方が、天国を上ではなく水平方向に進んだ先にあるものと見なしたり、神を普遍的ではなく局所的、限定的な存在と見なすなど、仏教をはじめとする「宗教」とは大きく異なる世界観に基づいているため、日本はいっそう「仏教国」な雰囲気ではなくなってしまっているのだろう。

そこはかとなく大らかな雰囲気の漂うシェムリアップの街を歩きながら、とあるネパール人の仏教徒の方からもほんのり漂っていたこの雰囲気、これこそが仏教国だ、と私は思った。

しかし一方で、それはあまりに拙速な結論にすぎるのではないだろうか? とも今の私は思う。カンボジアにしても

土俗の信仰 → ヒンドゥー教 → 大乗仏教 → 上座部仏教

のような宗教の変遷はあり、私自身は見逃してしまったが、土着の精霊を祀る祠のようなものは、かの国でも随所に見られるという。

結局、様々なものを呑み込み、様々に変化した結果、いくつものヴァリエーションを生み出したという、その、ある意味での生産性の高さ自体が仏教の価値を物語っているのだろう。これは仏教だけでなく、キリスト教も同じだ。メキシコのキリスト教世界をグロリア・アンサルドゥーアの著作などを通じて垣間見ると、日本の神仏集合並みかそれ以上の、土俗信仰とキリスト教との混交が見られる。

ヒンドゥー教と仏教もやはり共存しているが、これについては異なるものどうしの混ざり合いとは話が異なる。それというのも、(現地のガイド、Hour氏によると) 仏教はそもそもヒンドゥー教から派生したものだからだ。ゆえに、仏教徒の側からヒンドゥーの側に攻撃を仕掛けることは決してない、とのこと。当然といえば当然だが、一方で、いくら根を同じくしているといっても、ユダヤ教とキリスト教の微妙な関係を考えると、仏教側からヒンドゥー教側へのこうしたリスペクトは賞賛に値すると思う。

ただ、日本において土着の神に対する仏がそうであったように、仏教の仏がヒンドゥー教の神々を包摂し、彼らより上位に立つという現象は、歴史の中でやはり起こっていたようだ。それと関係があるといえるかは分からないが、アンコール・ワットは、元々ヒンドゥー教寺院であったものがソター王によって仏教寺院へと改修され、本堂のヴィシュヌ神の像も、その折に4体の仏像に置き換えられたという。

ⅱ. その他

「ⅰ. 混ざり合い」の補足

壮麗だったかつての都、アンコール・トムもジャヤーヴァルマン7世が築いたもの。

アンコール王朝時代の黄金時代を築いたジャヤーヴァルマン7世は大乗仏教を信仰していたそうだが、カンボジア国王としては彼が初めての仏教徒だそうだ。

アンコール・ワットの小ネタ

実は、江戸時代の日本人も、仏教寺院に変わって以降のアンコール・ワットを訪れている。1632年、平戸藩士の森本右近太夫一房はこの寺院をインド・コーサラ国の祇園精舎だと思い込んだまま参拝し、「父の菩提を弔い、祖母の後生を祈る」ため、仏像4体を奉納した。写真に写っている書き置きは、その折に彼が残したものである。

リンガとヨーニ

リンガは男根、ヨーニは女陰を象ったもの。「人々はこの2つを祀り、白いミルクで2つの性器を清め、シヴァの精液とパールヴァーティーの愛液として崇める習慣がある」とWikipediaにあるが、ガイドのHour氏の話では、カンボジアでは水で清めるのが普通のようだ。

シヴァ神の本質はサマディという言葉で表されるが、日本語の「三昧」もここから来ている。要は、一つのことにのめり込むタイプなのだ。そうした精神に則り、尽きることなく生命を生み、また破壊するシヴァ神は、世界の性器そのものと位置づけられている。

さて、こうした男根崇拝は必ずしもヒンドゥー教に限ったことではなく、古い文化にはよく見られるもののようだ。日本にもかつては道祖神信仰があった。ヒンドゥー教が特異なのは、そうした信仰を発展させ、性魔術であるタントラ思想を生み出したことで、これが仏教と融合したものが密教である。日本には、タントラの流れを引く密教の聖地として比叡山・高野山があるほか、散見する稲荷もタントラの影響下で発生したものだといわれている。

遺跡修復

これについては、立ち入ったことは書かない。私はそもそも、この旅行記を網羅的なガイドとして書いているわけではない (※ それは私の手に余る) し、このテーマを大きく扱いすぎると話が脇に逸れてしまう。ただ、個人的に嬉しくなったから書き残しておくだけだ。フランス、ドイツと並んで日本も遺跡修復にかなり貢献しているという事実! 政府はもちろんのこと、上智大学や早稲田大学がかなりがんばっているらしい。

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