番外編
新年の気分も抜け、すべてが日常に戻っていく。そんな中でも色褪せない数多の瞬間の中から、いくつかの断片だけでも抜き描きしておこうと思う。
ⅰ. 輸入食品の多さ
いわゆるPLAZAで売っているようなアメリカやヨーロッパのお菓子に加え、「ふーせんの実」や「ハイチュウ」も売っていた。また、"Dazani" という名称で売られていたミネラルウォーターは、「いろはす」のラベルにプリントしてあるものとそっくりのマークが入っており、「いろはす」同様にコカ・コーラ社が販売していた。
ここ10年ほどでようやく巷のスーパーの棚にも海外製品がそれなりに並ぶようになった日本の状況を考えると、カンボジアが進んでいるかのように思えてくるが、実際はそうではないのだろう。アメリカ合衆国がメキシコから原料を調達し、アメリカで、あるいはメキシコにあるアメリカ企業の工場で作ったものをまたメキシコに売るように、先進国の市場となっているだけなのだろう。
カンボジアでは、観光などの第三次産業に従事している人々を除けば、農業などの第一次産業に従事している人が大多数だと、私たちのツアーの現地人ガイド、Mr. Hourも語っていた。生活用品の多くは中国やヴェトナムで製造されたものだ、とも。今後この国の産業や経済が成長していけば、製造業の発展に伴いそうした状況は変わるのか、それとも観光立国となり第三次産業ばかりが発展し続けていくのか。いずれにしても、インフラの整備がまだ充分に進んでいるとはいえない以上、第二次産業自体は伸びる余地がある。
ⅱ. 労働
カンボジアでは、多くの人は1つの仕事だけでは食べていけない、午前中は語学教師として働いて、昼過ぎからはトゥクトゥクの運転手として働いている方もいらっしゃる、とMr. Hourは語っていた。
日本では、高度経済成長期に、家族のうち1人が稼ぎ手となり、1つの会社に一生勤め続けるという勤務スタイルが確立・定着した後に、初めてそうしたスタイルを崩す流れが生まれ、最近ようやく一部で「副業解禁」が実施されつつある。それを知っている身からすると、カンボジア人の働き方はとても自由に思えるが、彼らとしてはむしろ、安定した状況で安定した働き方をしたいというのが本音だ。
観光客の中には、「社畜」にならざるを得ない人々がたくさんいる日本とくらべ、カンボジアの人々はのんびり働いている、という人もいた。私は、それは違うと思う。この国はおそらく、国民全体に割り当てられるだけの仕事量自体を創出する能力がまだ充分ではないのだ。
フィンランドでベーシック・インカム (皆に生活に最低限必要なお金を支給する) が政治的議論の俎上に載せられた。この制度ほどのものではなくとも、生活の安全を保障するシステムがあったうえで、カンボジア人のように職業人として複数の顔を持てるのなら、それはそれで素敵だが、彼らの多くが生活の糧を得るのに腐心しているのは紛れもない事実だ。
ⅲ. 植民地時代の名残り
私たちのホテルの部屋は、天井が高く広々とした空間だった。そのホテルが特別なのかと思っていたらどうもそうではないようで、ガイドのHour氏も「カンボジアってちょっと特別で、(きちんとした建物については) 天井が他の国より高いんですよ」とおっしゃっていた。
上海の租界の建物がちょうどそんな感じだったのを思い出した。そうだ、これはおそらく植民地時代の名残りなのだ。
植民地時代の名残りと思われるものは街路にも散見する。正確には、見えるのではなく、聞こえる。観光客を相手にするとき彼らは専ら英語を使うが、トゥクトゥクや商店の客引きで最も多い呼びかけは、フランス語の "Madame" だ。
ⅳ. 常夏の薫り
蝉
「これ、何の音か分かりますか?」とHour氏が尋ねた。蝉ですか、と、少しためらった後に私は答えた。当たりだった。ミンミンゼミやヒグラシの鳴き声とは異なり一定の周期を持たず延々と繰り出されるそれは、断末魔のアブラゼミの叫びを思わせた。
アブラゼミの鳴き声より高音だったけれど。
日本の蝉の声はリズムがある分、こちらの蝉のものより耳に障る気がする、と彼は言った。まぁ、慣れかもしれないですけど、とも。彼はまだ、実際に日本に来たことはない。日本の蝉については、YouTubeで観られるアニメを通じてその声を聞くくらいだ。アニメだとやはりミンミンゼミが多いのだろうか。
「日本の蝉でも色々で」
私は意味もなく必死になりながら蜩 (ヒグラシ) のプロモーションを始めた。私には、郷土としての日本を愛する気持ちはあっても、日本を無条件に礼賛する気はさらさらない。そんな私が手放しに褒めそやしたくなる夏の日本の風物詩、それこそが蜩の、微かに哀しみを帯びたあの鳴き声なのだ。いくつもの言葉を並べるより遥かに雄弁に、無常の何たるかを、遠い夏の日、一人の子供に教えてくれた音色。一度でいい、仏教国に生きるHourさんに日本を訪れて頂いて、蜩の声に耳を傾けて頂きたい。
バナナ
バナナ味のお菓子や、flambé (フランベ) をはじめとした加熱してあるバナナならいいけれど、生のバナナはそんなに好きじゃない、と私は日本で繰り返し言っていた。
このカンボジア旅行記の第2弾でもご紹介したマダム・サチコの店にはバナナも売っていて、ツアーの参加者の1人はそれを大人買いしていた。こんなにお買いになるのか、と思って見ていると、ツアーの皆に配ってくれた。
ありがたい反面、日本に持ち帰ってケーキに入れるわけにもいかないし、と密かに考えあぐねているうちに最終日を迎えた。連日の歩行で、下の広間まで朝食を食べに行くためのエネルギーが足りないほどカロリーを消費していた私は、部屋を出る前に意を決してバナナをかじった。
おいしかった。
日本のものより薄い外皮を剥くと、想像以上に丸々として瑞々しい果肉が現れた。日本で食べるバナナによくあるポソポソした舌触りとはかけ離れたもっちり感に、くどさのない爽やかな香り。
ああ、そうか、私は今まで本当のバナナを食べたことがなかったのかもしれない。
野犬
日本では、猫は放し飼いしてもいいし野良猫も普通にいるが、捨て犬や野良犬は、引き取り手がいなければ狂犬病予防の観点から毒ガスで殺されてしまう。カンボジアには、綱で引かれて散歩する犬はほとんどいない。皆、辺りを自由に走り回っている。飼い犬もいるかもしれないが、野犬もそれなりにいるのだろう。
沖縄で、野生化した犬が増えて問題になっているというニュースを、少し前に聞いた。年中暖かいため越冬できてしまうし、繁殖もしやすいのだという。
カンボジアにはそもそも冬がない。あるのは雨季と乾季だけだ。
紅い大地
熱帯では、落葉は朽ちる間も無く分解されて紅い土になる。それは粒が細かいので、洪水などが起こるとすぐに流れてしまう。そんな話を、小学生だった私は学研のジュニア新書で読んだ。常夏の国にはあまり興味がなかったあの頃、本物を目にする機会があるとは全く思っていなかった。こんなに紅いとは、こんなにさらさらだとは、こんなに絶えず舞っているとは。
紅い風が吹く街
ポケットビスケットの曲の歌詞にそんな一節があったのを、ふと思い出した。乾季のシェムリアップは、大きな寺院も小さな街路も紅に染まっていた。