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  • Miho Yamazaki

Tokyo Art Book Fair 2017を振り返る


こんにちは、

私のTokyo Art Book Fairへの初出展が終わってから、はや数日。まだお腹いっぱいな感じはありますが、現時点で整理できていることだけでも書き留めておこうと思います。

正直なところ、フェアはおそらく作家どうしやキュレーターと作家との出会いの場であって、作品を販売する場ではないのだろうというのが現時点での感想です。インターナショナル・セクションの韓国人キュレーターの方もおっしゃっていたのですが、特に写真集はある程度流れを追って初めてよさが分かるものなので、キャッチーなヴィジュアルなり分かりやすいコンセプトなりが前面に出ていなければ一般購買者の目を引くのは難しそうです。また、私の場合は、展示の仕方まで含めて完成形という意識で作っているところがあるので、フェアでは自分が出したいものを出し切れないということもあります。

でも、やはり出てよかった。

同じグループから出展していた方々と築けたつながりや、互いに理解者となれそうな人たちとの交流、そしてフェアの一環として行われていた展示から得られた確信のようなものが、財産としてきっと残っていくからです。

参加させて頂いたグループ「Photo Atlas」の方々は、老弱男女問わず瑞々しい感性 or 切れのあるアイディアに溢れる写真を出していらっしゃり、本当は一つ一つご紹介したいくらいなのですが、合計点数がかなりの数に上ることと、私がブースの写真を撮るのを忘れたことがあり、紹介はグループのFacebook頁へのlinkに代えさせて頂きます。百花繚乱… 代表の小林さんをはじめとして、このような場に私を迎え入れてくださいました皆様、本当にありがとうございました!

一方、「互いに理解者となれそうな人たちとの交流」としては、たとえば、思考worldの同士ともいうべき東地氏や、その友人のTomm氏、そして以前から本当に仲良くしてくださっていたFacebook friendであるT氏との対話がありました。東地氏については、かなりの方が作品をご存知かと思います。右奥にあるDMの写真を除いたものがそうです。左手前の冊子のimageをよくご覧になって覚えてください。

こちらは同じ冊子の別の頁。実はこれ、同じ富士山の像が解体されていったものなのです。その過程や意味するところにつきましては、私がこの冊子自体に寄稿しておりますので、刊行されましたらお手に取って頂けますと嬉しいです。

こんな感じです。これを書いてしばらく、自分の文章を書く気が起こらなかったという… (笑)。東地氏が制作を通じて前面に打ち出している「差異と反復」的な問題は私の制作のテーマでもあるので、他者のために書いているのに自分自身もカタルシスが得られてしまったのでした (爆)。

東地氏の作品はまた、2次元と3次元の間から立ち上がってくる問題をはらんでもいます。わけても、彼の次回の展示で発表される作品はそうした問題意識を先鋭化させたものといえるでしょう。

こちらの写真は、彼と同じギャラリーで彼の直前に作品を展示なさる写真新世紀受賞作家、北沢美樹氏の作品を用いたDM (2次元) と私の部屋のカーテン (3次元) を組み合わせ、同一平面に還元したものです (笑)。2次元と3次元の戯れは、私自身、昔から好きでした。だからもちろんマグリットも。

フェア自体もさることながら、並行して近くの運河沿いで行われていた展示が何ともいえずよかった。この秋、東京は臨海地区の京浜島でアートイベントのようなものが開催されていたのですが、この展示は、そこで公開/制作されたいくつかの作品をベースに展開されたものです。

上の写真は関川さんのパフォーマンスの記録とインスタレーションとを兼ねた作品。土地の記憶が静かに浮かび上がってくるような構成がいい。かつそれぞれの写真自体も淡々として、中途半端に「ゲージュツ」している写真より、よほど私好みでした。

それと同時に、展示環境が許すなら私もこういう展示の仕方をしたいのだとも思いました。空間を構成する、それもできれば展示場所の記憶に絡む方法で。実際、夏至祭で私が行おうとしていたのもそうしたことでした。それが無理なら写真集。書物の中はひとつの、次元を持たない空間だと思うから。

差異と反復、そして記憶。やりたいことはまだまだたくさんあって、それを本当はすぐにでも形にしたいくらいなのですが、今の状況が許すのはただ、丁寧に掘り起こしてゆっくりと形を与えることだけ。でも、それはそれでいいのかもしれません。

展示の中には文章も転がっていました。京浜島で鳥の数を数えたときの記録が、写真だけでなく文章としても残っているのです。原稿用紙の上で躍っていたのは、そのときのvisionを「同時通訳」して書かれたと思しき、どこまでも閉じられることのないフレーズの断片たちでした。

壁の上の方では、ことばの彼方にvisionたちが飛んでいました。

言葉と音楽との関係性に挑んだのは、私も研究していた劇作家/美術家のサミュエル・ベケットでしたが、言葉と他の媒体との距離をどのように調整するかは本当に難しい問題です。私が今回販売した写真集には、左に写真、右に言葉を置いたセクションがあるのですが、それについて、言葉がやや強すぎるという意見がありました。どうしても言葉を入れたいなら最後にまとめて入れて、写真とは別にすればよい、ということでした。

言葉が本当に強すぎたかはともかく、流れを寸断されずに鑑賞を進めていけるという意味では、その方が絶対によかったと思っています。ただ、横に説明がないと頁を繰って説明を探しながら写真を見ることになるので大変だという話をよく聞くのも、一方では事実です。

そもそもそういう人は写真をそれ自体として見られないのだから、そういう人は対象にしなくてよい、という意見もありますが、今回の作品については、被災地の人々に受け取って頂くことの方が、下手をすればアートとしての作品の完成度を上げるよりはるかに重要だったと思っているのでこれでよかったのかな、と。

あとは、個人的記憶/記録と「作品」との境界を曖昧にしたいため、私的アルバムのような体裁を纏わせたかったということもありました。作者が神として君臨する時代は、もう終わっているから。

でもやはり、言葉と視覚imagesとの関係については今後の制作全般課題として考え続けていかなければならないと思っています。

さぁ、また歩いていこうかな…

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