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Miho Yamazaki

Facebookから出た対話_視覚の変容編


こんにちは、

最近は、近づきつつある某イベントの準備を兼ねてこの本を読み進めています。そうするよう薦めてくださったのは、私のFacebook friendでもあるTさん。最近あまりまともなFacebook生活を送れていない私の頁にも足繁く通っては「いいね」や書き込みをしてくださるのです。

そんなTさんとこの日はFacebook MESSENGERで交流。狙ったわけではないのですがとても興味深い対話となりましたので、ゴッホについて書いた前回のblogと比較対照しつつお読みくださると嬉しいです♪ MYと書いてあるのが私、TTと書いてあるのがTさんの言葉です。

MY

Tさん! ご教示頂いた『観察者の系譜』、牛の歩みながら読み進めております。 並行して、著作中に出てくる絵画やその他の絵画をインターネットで調べておりますと、19世紀に視覚というものに対する意識の大きな変化があったということが、改めて (しかも実感として) 分かりました 😃 重ね重ねありがとうございます♪ 実例 : 

1枚目 : Chardin (シャルダン) 2枚目 : キリコ 

※ 絵画画像の出典、調べて記入しておこうと思ったのです… が、申し訳ありません、見つかりませんでした。「私のサイトです!」という方がいらっしゃいましたらお声がけください。リンクを貼らせて頂きます。

TT

こんばんは! こちらこそとても素晴らしいところにお目をつけてくださってうれしいです! 本当にこの書は、美術史研究論文であらゆるところに参照されているように、近代からpost-modernに至る視覚文化を語るうえできわめて重要な文献だということが改めて理解できました。 美穂さんおっしゃる通り、17世紀科学革命に端を発した、人類の視覚体験の拡張による変革は19世紀が大きなピークだと言えますね。 これには鉄道によるパノラマ的視野の獲得と、写真の実用化も大きな影響を与えていると思われますね。 シャルダンとキリコの静物画の対比もきわめて興味深いですね。 セザンヌによる対照の多次元的捉え方の革命が見事にキリコにも反映していますね。 

MY

ありがとうございます、分かりやすくまとめて頂いて… 😃 ジョナサン・クレーリーはセザンヌの画に「眼の無垢」という言葉を充てているようです… 彼の静物画などを見ておりますと「対象の多元的捉え方」が感じられる一方で、彼の風景画を見てみますと、実は写真的という気もして… …というのも、それこそChardinの油絵にあるような、触覚的体験に裏打ちされた奥行きの感覚を画面に盛り込むことなく、眼に入ってくる情報 (色彩平面の集合体としてのreal) を淡々と描いているような気がするからなのです。 そのことを踏まえて彼の静物画に戻ると、そこにはフォトレアリスムとキュビスム両方の種子が含まれているように見えてきます。 もしかすると、セザンヌ氏ご本人は淡々と自分自身にとっての真理を追求していただけなのかもしれませんが、結果として20世紀モダニズム絵画の起源のような存在となっているのがすごい… Tさんが差し出してくださったmessageで、改めてセザンヌの存在の大きさを感じました 😋 

TT

ほんと、その通りですよね。セザンヌの風景画はありのままに、無垢の眼差しをとても強く感じていたのはぼくも一緒ですね。 美穂さんが述べていらっしゃった、彼の絵画に、フォトレアリスムとキュビスムの双方の萌芽が観られるのは、実はそのような無垢の眼差しから来てるのではないかと思われますね。 ゴッホと同様に、改革云々ではなく、ただひたすらに対象の表現を探究していくうちに、無意識のあいだに科学的な捉え方をもしていたのではと想像してしまいますね。 

MY

そうですね… そして、作り手としてはやはり、その境地に至りたいです… (しみじみ) 

別にオチがある訳ではないのですが、何気ない思いつきが対話でここまで膨らんでいくのがすごいなぁと。1人ではたどり着けないところまで連れて行ってくださる知己がいる、そのこと自体がとても尊いと改めて感じたのでした。

そして「近づきつつある某イベント」もそのような対話となるはずです… ので、乞うご期待! とまでは気恥ずかしくて申し上げられないものの、とにかく全力で楽しんでまいります ;)

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