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  • Miho Yamazaki

縦糸と横糸と歴史性と同時代性と今期の東京都写真美術館そしてレセプションパーティー


久々に長文を書きそうな気がしています。一方で、書ききれるのかな、という気もしています。

飲み物と食事がやってくる♪ (笑)

東京都写真美術館で12月2日から開催される「アジェのインスピレーション ひきつがれる精神」展および「日本の新進作家 vol.14 無垢と経験の写真」展の合同レセプション×特別鑑賞会に行ってまいりました。人の作品を経由して自らの目指すところを丁寧に整理するいい機会となりました。

今回はアジェ展を優先したので「日本の新進作家」展についてはつぶさに観る余裕がありませんでした。また日を改めて憩ってこようと思います。それでも限られた時間のなかで作品から感じ取ったものをkey words的に挙げておくと、

1. パラレルワールド (鈴木のぞみ、武田慎平)

2. 自らの行為の記録 (金山貴宏、片山真理)

3. ネオ・シュールレアリスム (吉野英理香)

ということになるかと思います。1と3の点を意識して鑑賞すると、今この時代に潜むものが見えてくるだけでなく、同時開催のアジェ展とある種の連続性が感じられるために、アートにおける歴史性に思いを致しながら感動に浸ることもできます。

車椅子に腰掛けて何やら書き付けていらっしゃるのが片山真理氏です。

アジェはシュールレアリスムに与する人たちが自らの先駆者として奉った写真家だといわれます。一方で、アジェの知名度を上げるのに大きく貢献したのはむしろ、ピクトリアリズム (絵画的な写真を是とする一派) の世界から脱し、ストレートにものを見ることを目指す (つまり、ある意味でリアリスティックな) 近代写真を創始しようとしていたアメリカ人写真家たちでした。

私自身は彼の作品を前に、圧倒的な静けさを感じました。そしてそれはおそらく、撮られた客体が静かなのではなく、撮っている主体が黙しているからなのだと思います。文学においては、文体の零度や白色のエクリチュールと称されるようなあの感じ。沈黙、零、白といった言葉は個性の無さを想起させますが、実際は、カミュの零度文体もアジェの沈黙も不思議なくらい強い存在感を放っています。

奇妙なことに、アジェは写真を撮り始める前は俳優でしたが、カミュにも、文筆家になる前に劇団員だった時期があり、舞台にも当然立っていました。演技のパラドクスとして、無私の状態で役に没入するほどにいっそう自分自身の心の核をなす何かに近づいていくということがあります。アカデミックな立場から見ればあまりに突飛な意見かもしれませんが、この事実を踏まえると、カミュやアジェの作品に演劇の経験が制作の方法論として活きているということは充分あり得るのではないかと思いました。

自己 (撮影者である自分自身) から離れて役 (被写体である現実の世界) に没入するほどに、アジェは自己に近づいていき、自己はやがて役とほぼ完全に重なり合う。そのときに自他の境界はなくなり、リアル (現実) とフィクション (自らの精神世界) の境界もなくなる。その「踏み越え」てしまった感じが超現実 (surreal) 的な世界と地続きになっていたとしても不思議はありません。だからこそ彼の作品はリアル志向の作家たちからもシュールレアリスムの芸術家たちからも歓待されるという離れ業を成し得たのでしょう。

さて、今回のアジェ展では、アメリカ (ヨーロッパで活躍したアメリカ人、マン・レイも含む) や日本におけるアジェの継承者たちの作品も並べて展示されており、写真史におけるアジェの影響が感覚として分かるようになっています。なかでもウォーカー・エヴァンズとリー・フリードランナーにはアジェに近いものを感じました。アジェの知名度を上げるのに貢献したアボットは、アジェに似ているというよりも、むしろ意識的にアジェを取り込んでいるように見えます。アジェ愛を公にしている荒木経惟の作品については、アウトプットとしてのイメージは酷似しているけれど、その裏にあるものは全く違うのではないかという印象を受けました。先ほど同様俳優に喩えるなら、荒木さんは名優は名優でもなりきりタイプではなく、半分の自分は役に入り込み、もう半分の自分は演出家目線で役に入り込んでいる自分を見ている、というタイプな気がします (だからこそ荒木氏の作品は、被写体がしばしば極めて私的であるにもかかわらず、完全に閉じられたものとなるのを免れているのではないでしょうか?)。深瀬昌久は、シュールなことはシュールだったのですが、ニュアンスとしてはアジェというよりも、むしろ川内倫子のhaloなどと近いものがある気がしました。

展示の最後を飾っていた清野賀子作品は、〈a good day, good time〉の《ブルーシートの家 小田原》が印象的でした。光の差し込み方も、ブルーシートの家の左端の垂直線が背後の壁のようなものの右端の垂直線ときれいに重なっているのも、どことなくパラレルワールド的で、彼岸的だった。実際、彼女はこの写真を撮った3年後に亡くなっているそうです。

…あ、長文書ききれた! (笑)

アジェ展の図録のデザイン、渋くて好き。

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