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Miho Yamazaki

ふるさとにかえろう_日本近・現代史/詩


藤城清治氏の展覧会を久々に観に行った。会場は、氏のおきまりの場所、銀座の教文館

ざっくり総論を書いてしまうと、

氏ご本人についての話として、90代に突入しても制作を続けるenergyを持っておられるうえ、新しいことに挑戦し続けてもいらっしゃることが本当に素晴らしいと思う。

あと、こちらは氏についてという訳ではなくart全般に関わる話になるが、art作品をartたらしめているのは、技術的なクォリティーではないものなのだな、と改めて実感した。もちろん、技術がなければ作れないのは事実だが、その点については産業的な「商品」ほどsevereではない。

藤代氏を例に取ると、氏自身もそうおっしゃっているし私も観てそう感じたのだが、氏の現在の技術力は、少なくともカッティング (※ 氏の作品は「切り」絵) の点でピークは越えてしまっているようだ。

こちらは50代の頃の作品。カット断面迷いもささくれも毛羽立ちもほとんどなく、とてもきれいに仕上がっている。

現在の作品は、カットの点ではここまでの巧みさはないかもしれないが、その代わりに新たな試みがなされていたり、題材の幅が増していたり、表現の仕方がいっそう練られていたりする。以下に挙げる比較的新しい作品の数々は、それを例証するような、柔らかくもedgyなものだ。

キュビスムのような感じも漂う、平面と空間の間を揺蕩う不思議なスタイルが、夜桜という幻想的なモチーフとよく合っている。

対角線上に鯉のぼりの列が並び、それとほぼ垂直をなすように川や雲が流れるという大胆な構成と、極度な要素の切り詰めにより記号的に描かれている川がグラフィカルで、洗練されたデザイン性と同時に日本画的な何かを感じさせもする。若かりし頃の氏の「洋」なテイストに照らすと、氏が今でもたゆみなく「歩き続けて」いらっしゃるのがよく分かる。

このような放射光の表現は、氏の作品の中ではおそらく新しいのではないだろうか? それまでの作品では、「光」は普通にグラデーションをなしていたように思う。三角形の連なりから構成される光… 世界をよりシンプルな形態へと還元しようとする試みなのだろうか。

水平線の描き方が超広角レンズや魚眼レンズ越しに見る風景を思わせる。氏はカメラの視覚からどの程度影響を受けておられるのだろうか?

2〜5番目に挙げたものより時期は遡るが、目に見えない存在である嵐の「心の声」を文字で表現するのが、新しい感じがした。

福島原発の地で、被爆覚悟で下絵をデッサンし制作したもの。賢治の碑は実在したのだろうか? この作品を写生的なものと捉えるべきか、虚実入り混じるものとして捉えるべきか、私はいまだに決めかねている。とはいえ、氏が宮澤賢治の文学を題材に制作することが多々あった事実を踏まえると、氏はいわゆるリアリズムの傾向が強い作家だとは考えにくいし、氏が現実にない碑を賢治へのオマージュとして作品中に描きこむことは自然である。

広島の原爆ドームをモチーフに据えた作品の一部。先の福島原発もだが、氏は近年、現実世界に材を取って制作をすることが多い。それはしかし、考えさせるようなものだけではない。楽しいもの、郷愁を誘うものまで様々だ。以下は、おわら風の盆を描いた作品の一部。

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