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  • Miho Yamazaki

夏至祭展示振り返り_初の1部屋貸し切り展示


これから暑くなる、という今このとき、1年はもう、折り返し地点を過ぎています。

夏至が過ぎ、夏至祭は終わった。

6月24, 25日の2日間にわたって、群馬県桐生市でも「夏至祭 in Kiryu」が行われていました。私はそこに出展作家のタイトルで参加し、入口付近にある「塩蔵」にて写真 × インスタレーションの展示をさせて頂きました。

他の展示作品につきましてはこちらをご覧ください。

様々な出会いがありました。設営を手伝ってくださった、群馬大生を中心とするボランティアの方々、運営者兼ゲストとして参加されていて、夏至祭後まもなく結婚された総合地球環境学研究所研究員の太田和彦氏 (ホワイトボードに写真を貼るという手間のかかる作業を手伝ってくださいました!)、メインゲストの1人として参加してくださったチェンバロ奏者/吟遊詩人の渡辺敏晴氏… 群馬大学教授の板橋英之氏とは、現場ではほとんど接点がなかったのですが、懇親会で興味深いお話をしてくださったうえ、私の展示にもいらしてくださいました。

※ 今回のメインゲストの重要な1人、脳科学者の茂木さんとは元から顔見知りだったのですが、軽くいじって頂けたりと、今回の祭典を通じてさらに親交を深められた気がしました。出展作家/画家の植田工氏についても同様で、子供の頃の秘話 (?!) をお聞かせ頂いたり、宅急便の出荷のためコンビニまで車で連れていって頂いたりと、様々な思い出ができました。

展示場内での出会いだけに絞ると、桐生のギャラリストで、埼玉県内の現代アート系ギャラリー「楽風」とのつながりもあるこんの純一氏や、会場でじっくり語り合わせて頂いたEmiko Tabei氏とは、その後Facebookでもつながることができました。その他にも、会場前のカフェで飲み物を販売なさっていたオネエサマのお父様が熱い感想を残してくださったり、

たくさんの方々が様々な感想を寄せてくださいました。

今回の展示ではL版写真の取り放題コーナーも設け、カンボジアで撮影したものと東北で撮影したものの両方を用意したのですが、そこで人気があったのは、実はカンボジア写真の方。一方で、感想が寄せられたのは主に東北写真の方でした。

切り口が複数ある、ということも大きかったと思います。

報道写真というのとは異なりますが、東日本大震災の被災地を巡って撮っているので、リポートやドキュメントのようなものとして観ることも可能なのは事実です。実際にボランティアで現地を訪れたことのある方々は、まずそういった側面に反応し、色々なお話をしてくださいました。それを伺うにつれ、私もまだまだこのシリーズを続けなければ、という想いがいっそう強くなりました。

アート写真として受け止めてくださった方ももちろんいらっしゃいました。作品のそうした側面を受け止めてくださった方には比較的若い方が多かったのですが、年配の方でも感じ入ってくださった方はやはりいらっしゃり、ある上品な老婦人は「手って本当、表情豊かなのね」と、静けさをたたえつつも弾んだ口調でおっしゃったのみならず、写真・動画ともかなり長い間見つめ続けてくださいました。

先にご紹介しました太田氏は「写真って無時間的なものだとつい思ってしまうんですけど、2つの画像を重ねることで4次元的な要素を組み込むことができるんですね」とおっしゃいました。そこから私が伝説的小説家/批評家のプルーストを連想すると話は文学へと広がり、楽しいひとときになりました。

2つの画像を実際に重ねることはもちろん、単に大量に集合させることによっても、個々に存在しているときとは異なるメッセージを、写真は発し始めます。先にご紹介しましたチェンバロ奏者の渡辺氏もその点に気づいてくださったようで、L版写真が貼られているボードを前にそういった感想を述べておられました。

氏ご自身は、写真はほとんどお撮りにならないそうですが、とりわけ震災以降、足繁く東北に演奏に通っていらっしゃることもあってか、色々と鋭い感想を述べてくださいました (それでも口調は円い… そんな方なのです、渡辺さんって♪)。

写真作家としての私にとっては嬉しいと同時に、人間としての私にとっては悲しかったのが、「いや、でもこれ、震災後の東北だというのは分かりますよ。何となく (…)」ということ。私自身は、いまだ現地に残るそこはかとない空っぽ感を感じながら撮っていて、どうやらそれが伝わったようであることは、表現する者としては紛れもない成功です。ただ、本当はそんな空気さえ漂わない東北になってくれる方が現地の方々にとってはよいのかもしれません。

※ 渡辺氏の活動の一端は、氏のホームページからも垣間見ることができます。

※ 津波を忘れ去る、という意味ではありません。それについては住民の方々も記録や記憶や痕跡を積極的に残そうとしています。陸前高田市にはあえて修復されないままに残されている道の駅さえあるほどです。

ただ、それでも東北は希望の地です。渡辺氏も述べていたことなのですが、被災地の人々の多くは意外なほど明るい。それは、私が夏至祭の「地球環境および伝統と革新の都市桐生の未来可能性を巡るシンポジウム」について述べたことが同地において具現化されていることとも、おそらくは関係があるのでしょう。それはつまり、

「環境の未来可能性は、環境の持続可能性とは異なります。持続可能性ほど現在や過去といったくびきにつながれずに未来を考えてみるといえばよいのでしょうか。完全な予測 (持続可能性への考察) と完全な希望 (全くの絵空事) の間に立って思索を巡らせるところから、それは生まれます」。

生き延び続けた土着の豊かな精神と物質的タブラ・ラサとの間で、東北の未来は今日も紡がれ続けているはずです。

以上、長々と展示について書いてきて、これだけ様々な解釈のされ方が現にあったことに改めて驚かざるを得ません。

それに絡んで最後に、蛇足かもしれませんが少し書き添えておきますと、写真にキャプションをつけた方がよい、あるいは、そうでなくてもタイトルはほしいという意見も寄せられていました。私自身も言葉とimagesの間で生まれるものにはとても興味があるのですが、やり方によっては想像の幅を狭めることになるのが難しいところです。また、そういったミクスト・メディア的なアプローチが許されるところを探すとなると、どこで作品を発表させて頂くのが適切なのか、というところから考え直す必要もあります。

どこで—それは実際、デリケートな問題です。今回、様々な方々に様々なフィードバックを頂いたことで、この点についても改めて考え直す機会を頂けたと思っています。

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